一般社団法人体力メンテナンス協会岐阜支部長の福田まいこです。
前回は私のICU看護師時代をお話。
私のインストラクター街道 〜①ICU看護師時代〜はコチラから>>
今日は第2話。インストラクターになったキッカケのお話です。
「今度は人が生まれるところをみたい!」と強く思い、
看護師5年目で日本赤十字病院 周産期集中治療室へ移りました。
当時、お産の素晴らしさを目の当たりにし、助産師の資格を取ろうと本気で考えていました。
その産科勤務時代、私はめでたく今の旦那さんと友達を介して出会い、あっという間にスピード結婚。
多膿疱性卵胞という子宮の状態で、妊娠しにくいと言われていましたが、無事妊娠することもできました。
しかし順調かと思われた人生も、妊娠を期に急変します。
妊娠中期に切迫流産の診断を受け、自宅安静を言い渡された私は、
ほとんどを実家で過ごし、トイレ・お風呂・食事以外は寝たきりの生活でした。
体重は18キロオーバー。
筋力は落ち、
診察のため病院を訪れると、院内を歩くのも息切れするし、診察室に到着するのもやっとのこと。
何より赤ちゃんが降りてきちゃうんじゃないかと思って、
力を入れられないし、怖くて動けなかったのです。
動けないというのは想像を超えるストレスでした。
ずっと寝てられてラッキーとおもっていた自分が馬鹿だったと思い知ります。
苦痛で仕方なく、毎日毎日ずっとテレビの情報番組かYouTubeかFacebookを見ていました。
当時の芸能人ネタ、時事ネタは誰よりも知っていたし、
家族は毎日私に明日の天気予報を聞きました。
もちろん得意げに教えてあげていて、それが私の生きている意義のように感じていたと思います(笑)
Facebookに上がってくる友人達のキラキラした世界は羨ましすぎて、とても「いいね!」を押せませんでした。
いつしか出産は私のゴールになっていました。
そんな中、迎えた出産。
初めてのお産は開放感の何ものでもなく、赤ちゃんの頭が出てくる瞬間は、
42.195キロを走りきったランナーの様に、
または、1ヶ月以上の便秘が快便になった人の様に(どちらも経験したことはありませんが)
それはそれはとても気持ちよいものだったのです!快感!!
その気持ちよさを味わいたいが為に、苦痛の日々を忘れ、もう一度妊娠したいかもと思ったくらい!
しかしここはゴールではなく、新たなステージの始まり。
切迫での自宅安静はスーパーマリオブラザーズの1面の小ボス。
クリアしたと思った瞬間にピーチ姫は中ボスにさらわれ、また2面の新たな旅のはじまり。
しかも、前よりもっと難易度高く、敵は強い。
心はポキポキ折れていきました。
妊婦さんは身重?!誰が言ったのそんなこと!
出産後の方が身重じゃないかーーーーーーー!!!
心の奥で何度も何度も叫びました(笑)
化粧をする時間、髪をセットする時間がわからず、スッピン&ボサボサプリン&スエット。
鏡を見る度に、こんなはずじゃ・・と思ってたし、
出産という一仕事を終えたお腹は、脱ぎ捨てられたストッキングのようにヨレヨレ しわしわで。
隠すこともできず、子供を産んだんだ!という大義を振りかざして、見て見ぬ振りしていました。
友人からランチの誘いを受けたものなら、
オシャレする体力→無し
着ていく服→無し
赤ちゃん連れて外出?小旅行じゃん!
ということで全て断ってました。(みんなごめんね・・)
私が独身のころで思い描いていた、『赤ちゃんのいる家庭』の光景は、幸せそのもの。
パステルカラー色に染められ、
石けんの香りとおっぱいの甘い香りがし、
おむつのCMのように赤ちゃんは天使のようにずっとスヤスヤ寝てくれて、
赤ちゃんの名前を呼んだら満面の笑顔でハイハイして来てくれて、
お部屋はぬいぐるみとかブランケットみたいにふわふわなもので飾られてて、
温かくて・・
あれ?
その景色どこ??
現実は、洗濯ものの山と、
散らかった原色カラフルなキャラクターのおもちゃ(木のおもちゃには興味を持たない我が子)、
食べ終わったお皿の山と、洗濯機の中にはまだ干されていない濡れた服やタオル。蒸れるとわかっていても干す気力なし。
私の着ている服にはヨダレと鼻水が白くこびりついていて。
赤ちゃんは泣き止まず、
おっぱいあげると泣き止んでくれるから、朝から晩までソファに座ったままおっぱいをあげ続けたこともある。
そんな現実のギャップにイライラしていた私がとった行動は、
『旦那さんにわかってもらう』ことでした。
しかも言わなくてもわかってほしかった。
私が頑張っているのを、偉いね、すごいね、って褒めてほしかった。
でも、現実はそうはいきませんね(笑)
そもそも、自分自身がそれを言ってほしい、いたわって欲しいんだということさえも気づいていなかったから、
素直に「わかって」って言えなかった。
「あー今日も大変だった。」
「いいよね、あなたは。」
「どうせ私は家政婦」・・
そんな言葉が口から出てたんですよね。
仕事から帰ってきて早々の旦那さんには、聞きたくない言葉、たくさん言ったなぁ。。。
今はわかる。
根本に、客観視して言葉にして伝えるエネルギーがなかった。
体力がなかったこと。
この頃の私のところへ行って、ギューっと抱きしめてあげたい。
頑張り過ぎだよ。肩の力抜いていいんだよ。頼っていいよ。って、背中をさすってあげたい。
ここから私の逆転劇が始まります。
次回は私の節目となった時期をお話したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。